タシケント〜ヒヴァ〜ブハラ〜サマルカンド
キルギス編はこちら。


10/18更新(タシケント/ウズベキスタン編) 11/2更新(タシケント〜ヒヴァ編) 11/16更新(ヒヴァ〜ブハラ編)
11/30更新(ブハラ〜サマルカンド編) 12/14更新(サマルカンド〜タシケント〜国境編)
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10/18更新



2008年10月18日
ウズベキスタン・タシケント

ウズベキスタンまでやって来ました。 ここまで来ると遠くまで来た気になります(東京との時差は4時間)。 日本を離れて2カ月以上が経過し、海外での放浪生活に大分慣れた頃でした。

さて国境でトラブルがあったとはいえ無事にタシケントへ到着しました。 「カラマットアパの家」なる安い民宿があるらしいので、そこまで行くのがこの日の仕事。
ちなみに、この街は地下鉄と路面電車が縦横に走っているので、交通には困りませんでした。 特に地下鉄の駅構内は装飾がとてもきれいで、写真を取りたくなりました。 が、警察に捕まるのでもちろん写真なし。

Sirdaryからマルシュルートカで来た人は、サビールラヒーモフ(Sabir Rshimov)駅で下されるので、 そこからすぐに地下鉄に乗ります。そしてチャールス(Chorsu)駅で降ります。 駅出口からバザールを南へ出ると、大通りの交差点が見えるので、南東の方へ渡り、 Turkuazというスーパーを左に見ながら路地へ入ります。しばらく歩くと左手に写真屋・右手に雑貨屋が見えます。 そこから右手に見えるビルがアパおばさんの居る雑居ビルです。 2Bと書いてあるビルに入って突き当たりの部屋が「カラマットアパの家」です。
料金は一泊10000CYM。800円。で、朝夕飯付き。部屋は二人部屋で超寝づらいベッドが付いてます。シャワーあり。 でも英語のわかる人がいないので、結構苦労します。 それから、外国人は政府が許可したホテルないし民宿へ宿泊する義務があり、怠ると警察に捕まります。 ですから、夜中に出歩いていて追い剥ぎに遭ったりしても警察に訴えることが できないという状況ですので、くれぐれも夜に(一人で)出歩くときはは気をつけましょう。
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11/2更新





2008年10月18日
ウズベキスタン・タシケント

カラマットアパの家に着くと、アパおばさん登場(カラマット=おばさん)。 本当にロシア語しか通じないらしく、会話はほとんどジェスチャーのみ。 こんにちは、ありがとう、どこ?いつ?なに?さようなら、いくら(how much)?以外の ロシア語を話せない私ですが、あちらは慣れているようで、万事OK。
夕食は台湾人カップルと一緒にとりました。彼らはトルクメニスタンに行き、イランへ向かうそうです。 トルクメニスタンビザはかなり厄介なことになりそうだとか、 違法宿だから外国人登録はできないよね、なんて話をしました。 ちなみに、夕食は完全に地元料理。パン・即席めん(?)・謎の野菜(酢に漬けてある)・ミンチ肉入りのスープ・ デザートはメロン。


2008年10月19日
ウズベキスタン・タシケント

キルギスで会ったYさん・Shinji君、R君、等と合流しました。
20日程度しか一緒にいなかったのに、 ずっと前から知っている友達に会ったような気持ちになりました。 このあたりが、日本にいると気づかないところ。旅の醍醐味でもあります。

深夜・上の人たちと一緒に、トルクメニスタン領事館へ行きました。夜襲ではありません。 ビザの申請をするための順番待ちリストに名前を書くためです。 終電に乗ったり、怪しげな路地に入ったり・・・なんでこんなに頑張らなあかんの? とか思いつつも、こういうのが結構楽しかったりします。
ビザの申請方法はこちら

ビザの申請を済ませたら、いよいよ観光開始です。


2008年10月22-23日
ウズベキスタン・タシケント〜ヒヴァ

ビザの申請からビザの受け渡し日まで10日あったので、その間に観光をしました。
タシケント発〜ヒヴァ〜ブハラ〜サマルカンド〜タシケント着
という日程で9日間を予定しました。

夜行バスでウルゲンチヘ到着、路面電車でヒヴァ・イチャンカラの東で降りました。 で、入口すぐの写真が左のもの。おお!異世界にやってきたぞ。という気分になりました。 なんだかゲームの中に入り込んだようです。


2008年10月23日
ウズベキスタン・ヒヴァ

街のど真ん中で結婚式してました。


2008年10月23日
ウズベキスタン・ヒヴァ

踊ってます。私も誘われましたが、遠慮しました^^


2008年10月23日
ウズベキスタン・ヒヴァ

綺麗なお嫁さんでした。


2008年10月23日
ウズベキスタン・ヒヴァ

ヒヴァの街を見渡しています。
アク・シャイフ・ババの高台と呼ばれています。日没or日の出の時間に来ればよかった・・・ と少し後悔。


2008年10月23日
ウズベキスタン・ヒヴァ

モスクの中で会った親子。日本人旅行者のKさんにもここで会いました。


2008年10月23日
ウズベキスタン・ヒヴァ

モスク内部。


2008年10月23日
ウズベキスタン・ヒヴァ

太陽とミナレットの共演。


2008年10月23日
ウズベキスタン・ヒヴァ

街の風景。
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11/16更新





2008年10月23日
ウズベキスタン・ヒヴァ

働く子どもたち。本(コーラン)を読むための簡易机を作ってます。


2008年10月23日
ウズベキスタン・ヒヴァ

タシュ・ハリウ宮殿。19世紀に建設された、ハーン(王)の私有別荘。


2008年10月23日
ウズベキスタン・ヒヴァ

同宮殿内。豪華な装飾。


2008年10月23日
ウズベキスタン・ヒヴァ

ショーをやってます。


2008年10月23日
ウズベキスタン・ヒヴァ

アップで。


2008年10月23日
ウズベキスタン・ヒヴァ

この街は高い城壁で囲まれています。壁は18世紀に造られたものです。 遊牧民の侵入を防ぐのが目的だったそうです。
18世紀といえば日本では江戸時代。飢饉や一揆があったり武士の専制政治であったとはいえ、 大きな戦争もなく、経済を発展させることができた江戸幕府の政策は悪くなかったといえるかも しれません。(それを礎にして)19世紀、人口100万人を超える都市は、 イギリスのロンドン・清国の北京・日本の江戸の3つだけだったと言われるほどの経済力を誇ったほどです。


2008年10月24日
ウズベキスタン・ヒヴァ

この街(城壁内)は見つくしたので、そろそろ次の街へ。 時間をつぶすためにもう一度昨日のタシュ・ハリウ宮殿へ。 サラリーマンで休暇でここに来ているOさんと偶然ここで会いました。 次の街でも、その次の街でも会いました。日本でも会いました。
この先、日本人・日本人以外を問わず、多くの人と出会います。 そういうのが楽しい人はバックパック旅行に向いているでしょうね。

さて、次の街ブハラまでの行き方;
旧市街の東門から出て、バザーを東へ抜けます。 タクシー乗り場みたいなところの奥に、わかりにくいけどバス停があります。 そこでバスの運ちゃんに、ブハラと言えばOK。15000CYM(1000円)、8時間。


2008年10月24日
ウズベキスタン・ヒヴァ→ブハラ

バスの中。ムスリムのおじいさんの隣に座りました。信心深い人で、バスの中でも礼拝を欠かしませんでした。 バスの運転手は勤務中なので礼拝してません。ロシア化しているので、信仰<ビジネス、という 考え方なのでしょう。そして、バスは満員・・・(違法だけど)座れないお客さんまでいました。 しかも酔ってもどす人もいて大変でした。検問を通る時、全員しゃがんで隠れたところが面白い^^

ブハラに着きました。真夜中です。寒いし、「ここどこ〜」みたいなところに降ろされました。 仕方ないから白タクに乗りました。10000CYM(680円)。

ホテルは真夜中だけど営業してます。さすがは観光地(フランス人が多い。)。 Nazira & Azizbek:B&Bが一泊15ドル。ラビハウズから歩いて1分。 部屋は暖房が利いて暖かい。風呂とトイレはきれい。 英語も通じます。おすすめ。
写真は街の中心、ラビハウズ。
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11/30更新



2008年10月24日
ウズベキスタン・ブハラ

朝の路地。朝日の散乱が幻想的でした。


2008年10月24日
ウズベキスタン・ブハラ

カラーンミナール。ブハラのシンボルです。1127年に建造されたそうです。 チンギスハンによる破壊や赤軍による破壊を免れて今日に残ってます。 高さ47m。


2008年10月24日
ウズベキスタン・ブハラ

カラーンモスク。この建物は、チンギスハンにより徹底的に破壊されました。 現存するのは16世紀に建てられたものです。向かい側はマドラサで、今は学校として使われています。


2008年10月24日
ウズベキスタン
ブハラ

地元の女の子。


2008年10月24日
ウズベキスタン
ブハラ

さっきの女の子と一緒にいた子たち。


2008年10月24日
ウズベキスタン
ブハラ

その日の夜は、ヒヴァであったOさんとKさんと一緒に、レストランで食事をしました。 写真はシャシリクという地元料理。串焼きにした肉です。ナンとよく合います。


2008年10月24日
ウズベキスタン
ブハラ

そのレストランの店員さんたち。めっちゃフレンドリーでした。


2008年10月24日
ウズベキスタン
ブハラ

まだその日の夜です。またまた結婚式乱入。てゆうか、マドラサを覗いていたら、 ヒヴァで会ったニューヨーカーに偶然再会。Oさんとも知り合いだったらしく、 なんか入っていいことになりました^^


2008年10月24日
ウズベキスタン
ブハラ

やっぱり地元の子どもたち。 別の写真で、私も写っていますが、若干くたびれていて恥ずかしい・・・ (ひげも生やしてたし)
というわけでなしよ、と。


2008年10月24-25日
ウズベキスタン
ブハラ

話は前後するけど、キルギスで覚えたチェスの腕を披露する時が来ました。 ブハラのバザール内、絨毯屋で、現地人とチェス対決。 戦績は、一勝二敗二引き分け。いや、楽しかった〜


2008年10月25日
ウズベキスタン
ブハラ

<中央アジアについて>
10月後半、中央アジアは秋真っ只中。日中はポカポカして暖かく、 とても過ごしやすい。しかも、空が青い!(写真を見てね。) 夜は冷えるけど、暖房が利いていれば問題なし。
ウズベキスタンはすごくいいとこだけど、日本では有名ではないです。 それは、プロデュースする人がいない、というのもあるし、 よく知らない国=危ない、というイメージを持っている、という理由もあるでしょう。
でも、きちんと調べれば、中央アジアは際立って危険ではないとわかります。 むしろ、フィリピンで市長立候補者が一族郎党全て惨殺される事件があったように、 近くにあって、知っている国であっても、危険なところはたくさんあります。
イメージや偏見、マスコミの報道に惑わされず、 自分で調べて、自分で判断して、楽しい海外旅行をされることを おすすめします。(ウズベキスタンにも、光と影がありますよw)


2008年10月25日
ウズベキスタン
ブハラ
→サマルカンド

サマルカンドへ旅立つ日がやってきました。 まずはカルヴァンバザールへ行って、物資調達&バスに乗ります。
行き方
朝早くにホテルを出て、ラビハウズ前を東へ1km程歩くと、 ニザーミー通りという大通りへ出ます。 北へ向かって適当に歩き、バス停らしきところで Karvon Bozari 行きのバスに乗ります。 カルバンバザールへ着いても、サマルカンド行きのバスはありません。 怪しいタクシー運転手に騙されないように!
バザールから南へ歩くと、ロータリーがあって、西に検問があります。 検問を越えてずっと西へ道なりに歩くと、右手にバスターミナルがあります。 そこから、サマルカンドやヒヴァに行くことができます。お試しあれ。

ちなみに、ラビハウズから南東へ10-15kmほどのところに(郊外) ブハラのカガン駅があって、鉄道でサマルカンドやタシケントまで行くことができます。 列車は毎日走っていないので、確認が必要ですが。

さて、バスに乗ること5時間、10000CYMでサマルカンドの郊外、 ウルグベク天文台の前で降ろされます。長距離バスの乗り降りはここでやるようです。 近くに市街地まで行くマルシュルートカにも乗れます。

次回、サマルカンドと、タシケントの腐敗役人との闘いの話。
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12/14更新

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2008年10月25日
ウズベキスタン
サマルカンド

シャーヒ・ズィンダ廟を遠くから眺めたもの。 イスラムの聖廟らしいです。一般人の墓も近くにあります。 (墓なのに)縁起を担いだとか、担がないとか・・・


2008年10月25日
ウズベキスタン
サマルカンド

廟内部。奥の間ではコーランを読んでます。 日本で坊さんがお経を読んでいるのと同じようなものです。
677年に異教徒に襲われたクサム(預言者ムハンマドのいとこ)が、首を切られた後、 動じることなく自分の首を持って井戸に入った-という伝説の残る井戸があるから、 神聖な場所らしいです。(逸話は眉唾ですね・・・)
あと、日本人の団体観光客が来てて、若干うざ〜って思いました。


2008年10月25日
ウズベキスタン
サマルカンド

建物の外観はこんなもんです。 ほかにも、モスクがたくさんありました。 入場料は全部で2000CYM。安くはないです。


2008年10月25日
ウズベキスタン
サマルカンド

レギスタン広場。意味は砂の広場。 ここも入場料がいるらしいです。

サマルカンドの写真はこれくらいです。 他に何してたん?って感じですが、風邪をひいて&お腹をこわして、 宿でうんうんうなってました。

で、宿情報。
B&B Bahodir:レギスタン広場近く。安い料金($8)、うまい飯($1)、 オープンスタイルの食堂(中央アジア風)が人気の秘訣でしょう。 部屋は暖房が利いてますが、隙間風が入る部屋や、暖房の効かない部屋もあるので 部屋が暖かいかどうかも最初にチェックしましょう。
(ちなみに、訪問するとチャイとクッキーを振舞われます。)


2008年10月30日
ウズベキスタン
タシケント

サマルカンドの話はこれぐらいにして、タシケントでの闘争に戻ります。
バスでタシケントのサビールラヒーモフ駅について、地下鉄に乗ろうとした瞬間です。
警察来ました!20代前半の男。レギストラーツィア(外国人登録)のチェック。 各観光地の登録証を見せて、今日タシケントに来たんや、って言って乗り切りました。 ちょっと冷汗出ました。次に、なぜか財布のチェック(国際的には認められてません)。 財布は見せても、札束は決して放しません!めっちゃ力入れました。 しばらくすると、行っていいよ、と言われ、「welcome to Uzbekistan!」って警官が言いました。 にこやかに別れました。めでたしめでたし・・・

次。トルクメニスタン領事館でビザの受け渡しの話です。
10月29日、明日の受け渡しのネームリストに名前を書く。が、 絶対にビザを受け取りたいので、賄賂を払うことに決めました。100円ほどでOK。 なんかめっちゃ喜んでました。どんだけ安っぽい奴らなんだろう?
翌日トルクメビザを受け取る時に、最大5日まで滞在日程を申請することができます。 5日間、めいっぱい取ります。当然ですが。
ビザを手に入れても、油断はできません。 出入国地点を勝手に決められてます。 farapと書いてあれば、ブハラ近くの国境から行くことになります。

詳しくは ビザ取得方法へ。


2008年10月31日-11月1日
ウズベキスタン
タシケント
→Olat
→国境

トルクメニスタンへ向かいます。目指すはOlatという国境の町。
まず、ブハラまで行きますが、鉄道を使います。オプシーという3等座席で9000CYM。 バスより安い、というメリットがあります。しかもOlatまでブハラから鉄道が通っているはずだ、 と地図から推察して、それに賭けようと思ったからです。(旅慣れてきましたね)。

夜21:00ごろ、カラマットアパに別れを告げました。意味不明な投げキッスを受けました・・・。
22:00ごろ、タシケント駅から夜行列車に乗りました。ちなみに、ロシア語でチケットをどうやってかったのか? という話ですが、会話の90%は筆談です。予習すれば何とかなりますよ。
翌朝6時、ブハラ駅着。座ったまま寝ました(1夜)。
駅に着くと、タクシーの運ちゃんが寄ってきました。乗る気が無いので無視。 駅の券売所で「Olat」と連呼すると、改札通っていいよ、って言われました。 Q:ニエット ビレート?→A:ニエットということで、チケットは買わなくてもいいようです。 あとで列車内で買いました。古き良き日本と同じで、車掌さんから買いました。 ちなみに、ブハラ〜Olatまでの列車は毎日運行してます。
Olatから10ドルで国境まで行き、 泥棒たちから逃げつつ、税関を通ればウズベキスタンとお別れです。

詳しくは国境越え指南へ。


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