9/25更新(ナルン〜ビシュケク) 10/5更新(ビシュケク) 10/18更新(ビシュケク〜カザフスタン〜ウズベキスタン)
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9/25更新



2008年9月26日
キルギスタン・ナルン
(宿泊)
カシュガルからトルガルト峠を越えて、最初の街がここナルン。警察とホテル以外に用はない街です。
まず、ホテルですがキリル文字が分からないのでタクシーを捕まえて5ドルでアラトーホテルへ向かう。 米ドルが使えることに驚く。
アラトーホテル:警察(オヴィール)の前の道を西に向かうと、右手に見える。シングルが250COM(1COM=3.3円)。 風呂とトイレは部屋の中についている。レストランあり。受付とレストランでは英語が通じないので、 身振り手振りで乗り切りました。
部屋に暖房はあったけど、稼動せず。 夜は特に冷えたので、荷物の中の衣類をすべて布団代わりにして凌ぎました。


2008年9月27日
キルギスタン・ナルン
(外国人登録)
中央アジア諸国は旧社会主義国家なので、その名残は随所に見られます。
その一つが「外国人登録(レギストラーツィア)」です。 2006年の情報では、入国後3日以内に登録しないと、警察行きだとかそうでないとか。
ちょっと焦って警察(オヴィール)へ言ったものの、英語通じないし門前払いだし・・・やれやれでした。 (2008年9月当時、日本人の外国人登録は不要でした!というのは後の話・・・)
仕方ないから、乗り合いタクシーでビシュケクまで行くことにして、この街とはお別れです。
それにしても、英語さえ通じないことがこんなに不便だったとは、思いもよりませんでした。


2008年9月27日
キルギスタン・ビシュケク
(宿泊)
乗り合いタクシーでビシュケクまで行く($15)と、夕闇が迫っていました。 噂によると追い剥ぎをする警官が出没するらしく、暗くなる前に宿を探すのが急務でした。 変なところで降ろそうとするタクシーの運転手を叱りつけ(気合で)、 ゴーインという名の中国系デパート前まで行ってもらう。

目当ては「サクラゲストハウス」。日本人の経営する宿らしいので、 情報収集もかねてここに決めました。道が良く分からなくて彷徨っていたら、 「日本人ですか?」と明らか現地人のおばさん(失礼・・・)が声を掛けてきました。日本語で。 「はい。」と私。すると、「ここを入って少し行くと、なんかあります」と言い捨ててどこかへ消えました。
なんかって、何だよ・・・でも多分サクラG.H.の方なんだろうと見当をつけて小さな路地を入ると それらしい建物を発見・・・無事に着いたようです。外国人登録は不要らしいことは、 ここのオーナーに聞いて知りました。


2008年9月27日
キルギスタン・ビシュケク
(sakuraG.H.の人たち1)
サクラG.H.で最初に会った人は、R君(日本人)。庭でギターを弾いてました。
もう一人はここのご主人。人のよさそうな方で、大学の講師をやっているそうです。 また、時々スーツを着て大使館で偉い人と食事をするそうです。 どうやら、さっきのおばさんがこのご主人の奥さんのようです。

中央アジア5ヶ国のうち、キルギスのみビザが不要なので皆この街で足止めを食らうそうです。 私も食らいました。20日間もの間、ビザを待ちながらここでだらだらと過ごしました。

ビザの取得方法は こちら


2008年9月27日
キルギスタン・ビシュケク
(sakuraG.H.の人たち2)
夜になるとたくさん日本人がやって来ました。
夫婦みたいだけど実は違うというKanameさんとTomomiさん。
某大手電機メーカーで派遣社員をやっていたYさん。舌を噛みそうな苗字でした。
休学中の学生で、中国で時間をつぶすと言っているSato君。
私に「はくし(博士)」というあだ名をつけたSinji君。修士です、って私がいうと、 やっぱ博士やな、と返されました。数々の抵抗むなしく、私のあだ名は博士に決定。

その日の食事当番はYさんでした。ご飯を鍋で炊いて、鶏肉のスープと玉子とトマトを炒めた料理がでました。 後者はトルコ風。私もお流れを頂戴して久しぶりに楽しい食事をさせていただきました。


2008年9月28日
キルギスタン・ビシュケク
国立歴史博物館
この日は日曜日だったので、軽く街を散策。さわやかな秋晴れで、気持ちがよい日でした。
とりあえず、暇だから博物館に行くことにしました。1Fはお宝のギャラリー。 2Fは社会主義革命の歴史資料(モンゴルとは違って社会主義革命を肯定している)。 3Fは遺跡からの出土品や遊牧生活の資料。刀剣や弓矢もありました。


2008年9月28日
キルギスタン・ビシュケク
(食事)
パンがおいしい。サクラG.H.の近くで焼きたてパン(33円)を買って、 チョコクリームやマーガリンで頂くのが毎朝の日課になりました。 昼は即席ラーメンに玉子をつけて食べました。 夜は毎日当番を決めて交代でご飯を作る日々。
お勧めスイーツは「イチゴタルト」。
バザーに行けば何でもそろいます。米・肉類・野菜・果物・お菓子・・・そしてジプシー(哀)
買い物をしていると、いきなり寄ってきて「金よこせ!」とかあり得ないし、 しかも無視するとめっちゃ怒るし、もう訳が分からない!


2008年9月28日
キルギスタン・ビシュケク
散策
この街の移動手段は路面電車と小型バス(マルシュルートカ)。 市内ならどこまで乗っても数円〜十円程度だから節約派の味方です。 しかも市内を縦横に走っているからすごく便利です。

ビシュケクのメインストリートはチュイ通りで、 デパート、中央銀行、大統領府などがこの通りに沿って建っています。
日本にいると想像できないかもしれませんが、 子供(乳幼児)を抱いたお母さんが地下道の階段に座って手を出している光景をよく見ました。 キルギスのGDPは世界最低クラス。Ipodを買ったり日本車を買ったりする人がいる一方で、 こうした方々もたくさんいます。 貧乏になるのはその人の怠慢かもしれませんが、 働く代わりに子供を抱いて座らなくてはならない、 というのはいささか度が過ぎている気がします。
2009年9月現在、日本では120万近くの人が生活保護を受けています。 生活保護が無くなったら日本もこうなるのかな、なんて思いました。

次週、ビザ取得奮闘記とゆるゆるな日々の日記。
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10/5更新



2008年9月29日
キルギスタン・ビシュケク
カザフスタン領事館
全く興味のない国なのですが、アルマトゥ(カザフ)を通ってタシケント(ウズベキスタン)へ向かう予定だったので カザフビザを申請。このルートが大失敗だった、というのは後の話。
手続きの内容はこちら。
まず意外だったのは、大使館の窓口。ぎりぎり一本手が入るくらいしか開いていない! その狭い隙間越しに職員と話すので、独り言を言っているような気持ちになりました。 (どうやら向こうは聞いてくれているようでしたが・・・)なんか釈然としない。
しかも、“お願い書”なるものを自筆・・・要領はその辺の人に聞いて、とか言われて放り出される。
何かにつけて手取り足とり教えてくれる日本とは違うようです(むしろ日本が例外のようです)。(3営業日後、ビザ獲得)


2008年10月7日
キルギスタン・ビシュケク
アゼルバイジャン領事館
アゼルバイジャンってどこ?みたいな感じですよね。 (地図)
2008年にグルジアで南オセチア問題がありましたが、そのグルジアの南。 2009年にイランで核開発が問題になりましたが、そのイランの北。 一昔前に石油バブルで沸いた国です。
イランへの中継地点としてこの国を選んだのは、一つにはカスピ海を渡りたかったというのと、 それからイランビザが容易に取れるという二点でありました。
さて、アゼルバイジャン領事館の親切なところは、ビザの申請受付終了時刻の後でも申請させてくれたこと。 でも、受取の時に一悶着・・・
まず、指定された日に領事館へ行くと、(大統領選挙の前日で)サーバーがパンクしてビザを申請できてない、との答え。 翌日来い、というので次の日行くと、領事館へ行ったものの、何故か門前払い。頭にきて 「どういうことやねん!日本大使館に連絡するぞ!」って電話で迫っても「sorry」と2,3回喋って一方的に切られる始末。 「Were you sleeping? = お前、寝てんのか!(←人格変わってね?)」なんて言葉も喋った気がします・・・
イライラしながらも、暴れるのも大人気ない。翌営業日必ず、ということでその日は収まる。 土日を挟んでビザを入手。次期領事は日本語のわかる人だったので、軽く無駄話をして別れる。
手続きの内容はこちら。


2008年10月8日
キルギスタン・ビシュケク
ウズベキスタン大使館
ウズベキスタンが一番お勧めです、というのは後の話・・・。大使館職員(おばはん)が凄かった(笑)。

これは聞いた話ですが、R君とYさんとSinji君の3人でウズベクビザを申請しに行ったと思われたい。 R君が職業欄に「無職」と書いたら、大使館のおばはんが激怒。理由は理解不可能・・・。で、その日は申請できず。
日を改め、今度は通訳付きで挑む。 おばはんが「お前らか!」みたいな顔をしたので、その3人が爆笑「覚えられてるやん!」。 それを見ておばはんが激怒・・・またしてもビザを申請できなかった。という話。

どんだけ気分屋?って感じですが、この難関に私も挑みました。
私は無職だったのですが、適当に偽って(確か実家の住所と適当な会社名をでっち上げました)面接をクリアしました。 一体何が不愉快だったのかはわかりませんが、気分次第で入国の可否が決まるのはどうかと思いました。 このあたり、日本の役所はきちんとしてるな、ってかんじでした。
手続きの内容はこちら。


2008年10月10日
キルギスタン・ビシュケク
温泉
ビシュケク郊外には温泉地がたくさんあります。一泊二日で行くなら「アラティン・アラシャン(黄金の温泉)」、 日帰りなら「イチャンカラ(だった気がする)」。私はすっかりだらけてしまい、「イチャンカラ」で我慢しました。
山から湧き出る硫黄泉を惜しげもなく・・・温水プールに流してます。完全に使い方を間違えてます。 公共浴場的に開放したほうが儲かるのにね、なんて話をサクラG.H.の日本人としてましたっけ?
そうそう、すごくきれいなロシア人女性が居て、男衆の目の保養になりました・・・ スタイル抜群で、顔可愛くて、なぜか赤毛。


2008年10月12日
キルギスタン・ビシュケク
街ゆく人々
若い女性は美人でスタイルも良いのですが、お年を召した女性はやたら肥えてます。 相撲取り並みに太っている人も少なくない。 即ち、若いころは痩せていても、年を取ると太る、という予想がすぐ立つわけです。
市内を警備していた婦人警官、凄い美人だったし(思わず振り返るくらい)、 サクラG.H.のオーナーの奥さんも昔は細かった(写真で確認)。
でも年を取ると・・・やれやれ、まさに諸行無常。


2008年9月27〜10月18日
キルギスタン・ビシュケク
サクラG.H.の客たち
サクラG.H.はバックパッカー向けの安宿なので、 日本人以外にもいろんな国の若者が泊まりに来ます。
チェスの相手をしてくれたイスラエル人(大学院生・理論物理学)や、 ロシアに行ってデモに参加して逮捕された人(欧州人)など。
日本人だけど自転車で世界一周をしている人(Nさん)もいました。今年で十年目らしいです。 その人はサッカーの神様ペレと会ったり、アメリカの元大統領に会ったり、 体験談の講演をして小遣いを稼いだりと、凄い体験をされている方でした。 私も旅をしているつもりでしたが、この人に比べれば遊びかも、なんて思いました。

サクラG.H.の奥さんはNさんを見て、「人生に納得した顔」だと言っていました。 世の中には、自分の人生に納得できずに生きている人がたくさんいるけど、 それに比べたらとても幸せそうだ、という話でした。
なるほど、そういう見方もあるな、なんて私も思いました。 世の中を勝ち組・負け組で分けてしまう人もいますが、 誰かに勝っても別の誰かに負けていることに思い至れば、 各人が各々の幸せを求めることが大切なのかもしれません。

次週、キルギス〜カザフ〜ウズベク越え。


2008年10月18日
キルギスタン・ビシュケク〜アルマトゥ

ビザがすべて揃ったので、名残惜しことですが旅立つ時が来たようです。 (本気で腰が重かった!)
まずはマルシュルートカで西バスターミナルまで行く。 国際線(でもワゴン車)のバス=アルマトゥ行きに乗る。75COM。安い。

キルギス側の国境は難なく通過。で、カザフスタン側の国境がやばい。 なぜか中国系の男どもがたむろしていてめっちゃ絡んできました。うざい! 一緒に乗っていたおばさんに助けてもらって、このときは振り切ることができ、 無事に乗り切りました。

アルマトゥに着いたのが夜8時。バスターミナルに併設の宿泊所「サイラン」を探していると、 怪しげな男たちがホテルの前でたむろしていました・・・ いや良く見たら先に出発したShinji君たちでした。また会ったね〜でも明日はお別れ。 サイランは1000Tg(=1000円)で一泊できます。シャワーもトイレも共同。


2008年10月18日
カザフスタン・アルマトゥ〜国境

今思い出しても腹立たしい思い出・・・
アルマトゥのバスターミナルからウズベキスタンとの国境までバスが出ていると聞いて、 早速それに乗りました。が、実はこれが失敗・・・ バスが停まった国境は第三国の外国人には解放されていないらしく、門前払い。 途方に暮れる暇もなく、うっとうしい奴らに絡まれる。 というか、鞄とかいろいろめっちゃ引っ張られた揚句、タクシーに乗せられて謎の仲介手数料を むしり取られる。いやはや、無法地帯とはここのことを言うのだな、って思いました。 結局、通過可能な国境まで行くのに100ドルも払う羽目になりました。最悪!
(注意)カザフ側国境「ジベックジョル」は通行不可能。 結局名前すらわからない国境を越えて、ウズベク側「Sirdaryo」に抜けるようです。

さて、Sirdaryo辺りから、タシケントまでどう行くか?ですが、まずは高速道路に歩いて行き、バス停を探す。 (国境をでて道なりに歩くと、高架があります。)そこから、10ドル程度でタシケントまで行けます。

ウズベキスタン編に続く。
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