モンゴル/ザミーンウード〜ウランバートル
中国編(北方)はこちら


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2009/8/2更新



2008年8月23日
モンゴル・ザミーンウード

草原1 とうとうモンゴルへやって来ました。見渡す限り晩夏の草原が広がっていて、空気もなんか違います。気持ちがいい。
(写真)初めてのモンゴルの草原。どこまでも続く草原に感動。

ザミーンウードは小さな町でしたが、初めて異国の地を踏んだかのような感動を覚えました。 なんか空気が違います。私に文才があれば、小説か詩でも書けたのにな・・・


2008年8月24日
モンゴル・ウランバートル
ウランバートル 何の祭りですか?って感じですよね。北京オリンピックのレスリング競技で、モンゴルの選手が金メダルを 獲得したことが伝わると、街中お祭り騒ぎになったようです。 私も現地人とハイタッチしました(謎)。仕事どうするんやろ?ってほど騒いでました。
日本の場合、選手が金メダルを取ってもテレビや新聞が騒ぐ程度で、仕事を放り出してはしゃぐ人は 居ませんが、どっちが良いと思いますか?(私は日本のほうがよいと思ってます。)


2008年8月24日
モンゴル・ウランバートル
ウランバートル3 別に暴動ではありません。路面電車がいきなり発火しました(私の目の前で!)。
火事に気を取られているすきに、鞄を開けられて驚く。幸いチャックの音で気づいたので被害なし。 これが本当の火事場泥棒ですな、ってうまいこと言ったつもりか?!


2008年8月24日
モンゴル・ウランバートル
草原の国=素朴な国民性って思っている方がほとんどでしょうが、さにあらず。
この街で見たものは、かっぱらい、すり、暴力などなど素朴なイメージを破壊するに十分なものでした。 特に旧国営デパートの前がひどい!ウランバートルへ行こうと思っている方は十分気をつけましょう…

少し解説しておくと、遊牧民は家畜の放牧もするけど、略奪行為もします。かの有名なチンギスハンが生きていた 時代も、強者が弱者から家畜を略奪したり、戦争で負けたほうを奴隷にするような時代でした。 そんな伝統(?)のもと資本主義経済が発達したので、 金を持っていそうな観光客や"すき"の多い人を見つけては、金品を奪う輩がたくさん生まれたようです。
実際、同じホステルに宿泊した日本人はデジカメを強奪されました。
私は大丈夫でしたが、現地人が現金をすられる瞬間や、昼間から血だらけで路上に倒れている人を目撃しました。

ちなみに、モンゴルでは女性のほうが男性よりも働き者です。
大学生の男女比も、女性が6割男性が4割だそうです。ちなみに、街の建設現場で働いているのは 中国からやって来た出稼ぎ労働者だそうです。
日本政府がモンゴルに経済援助をしても、中国人労働者を喜ばせる結果になることを政府は知っているのでしょうか?
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2009/8/10更新



2008年8月24日
モンゴル・ウランバートル
(宿泊)
Idre Guest House
(住所)Byangol distinct, 1st microdistinct Building22
一泊5ドル。インターネットは有料です。地球の歩き方など、日本語のガイドブックあり。 シャワーは地下室にあって男女兼用。自炊可能。リビングにはテレビがあります。 モンゴルの女子大生がバイトしています。
日本人も宿泊しています。5ドルの割に設備はよいと思います。


2008年8月25日
モンゴル・ウランバートル
さて、ウランバートルに到着した翌日、いきなり草原に旅立ちました。天気は雨でしかも寒い。 中国から北上してきたので余計寒く感じました。 よく考えると緯度的には北海道・稚内よりも数度北なので、どうりで寒いはずでした。

このとき北京で引いた風邪をまだ引きずっているらしく、熱と咳がひどかったのを思い出します。 日本で暮らしていたらこんな無茶はしないのでしょうね。 このときの心境は、「海外なんだからどこにいようと安静ではいられない」という理性的(?)な面と、 「仮に命を落としたとして、惜しむほどの人生だろうか?」という半ば諦めの心境であったと 日記にありました。この諦めモードも吉凶半々の側面をもつから、人生はよくわからない。

さて、草原の旅(エクスカーション)の参加者は欧米人(スイス人2、イタリア人2、ポーランド人1) とガイドのモンゴル人と私。会話は全て英語でした。私だけ黙っているという選択肢は無く、 おまけに常に会話を振られました。拙いながらも話題について行けたから、人間の適応能力はすばらしい。 もともと、学生時代に留学生と英語で会話してたから基礎があったのかもしれませんが・・・。


2008年8月25日
モンゴル・中央高原
草原の旅1 いきなり馬で旅立つという訳ではなく、ドイツ製のワゴン車で遊牧民のゲルまで移動する場面が数々あります。 しかもよくパンクして、そのたびに降りて修理するから面倒です。左の写真はパンク修理の様子。 作業している二人がモンゴル人ガイド。右はイタリア人のマシモさん、翻訳家。左もイタリア人フィリッポさん、 職業は謎。
一日目は移動だけで終わってしまいそうでした。


2008年8月25日
モンゴル・中央高原
草原の旅2 どうやら、一日目はラクダに乗るようでした。ゲルの南にゴビ砂漠が広がっていて、その北側を少し歩くという趣向でした。 このラクダが暴れて大変でした。という一日目。


2008年8月26日
モンゴル・中央高原
草原の旅3 二日目。モンゴル中央部を流れる川。名前は・・・忘れました。朝夕は日本の冬並みに寒いけど、 太陽がでると半そでで過ごせるくらい暖かい。


2008年8月26日
モンゴル・中央高原
草原の旅4 遊牧民の集落、というか一家のゲルが遠くに見えます。彼らはこんな感じで郵便も電気もガスもない生活をしています。 ドラム缶のようなストーブに木と家畜の糞(乾燥したもの)が入っていて、それに火をつけて暖をとります。 しかも結構暖かい。
日本人には考えられない生活ですが、これが彼らの生活です。


2008年8月26日
モンゴル・中央高原
草原の旅5 牧羊犬です。人懐っこい犬でした。
所得で見ると遊牧民の収入は確実に(極)貧困層ですが、困っている様子はありませんでした。 むしろ都会のサラリーマンよりも楽しそう。これで満足できればきっと楽しいでしょうね。
彼らの収入と例えば日本人の収入をみて“格差”と言うのは愚の骨頂だと思いました。 都会には都会の良さがあると同時に、田舎には田舎の良さがあることを感じたからです。 そう考えると、日本の“格差社会是正”がひどく可笑しいものに思えてなりません。


2008年8月26日
モンゴル・中央高原
草原の旅6 モンゴルの羊です。ヤクと言います。イメージと違いますよね。半袖でも汗をかくくらいの陽気でしたから、 彼らも日陰へ避難しています。しかもめっちゃこっち見てますし・・・。
残念ながら写真はここまでです。電池が切れました。ウランバートルで買った電池も全部だめで、 買いにゆくわけにもいかず・・・もったいなや。


2008年8月27日
モンゴル・中央高原
3日目です。ここから写真はありませんが、ようやく馬が登場しました。念願がかなったのですが、予想以上に大変でした。
天気は晴れ。ただし半端なく寒い。 8月の末くらいでしたが、日本の11月くらいの寒さです。しかも風があってさらに寒い。 でも、一番困ったのは、足と尻が半端なく痛くなることです。 馬が走ると上下に揺れて尻を鞍に打ちつけます。それがいやなら足を踏ん張って鐙(あぶみ:足を乗っけるところ) の上に立ちますが、くるぶしからふくらはぎにかけて鐙が食い込んでこれまた痛い。 座れば尻が痛くなり、立てば足が痛くなるのでかなりきつい。熟練者はこんなことないでしょうが、 こちとらあいにく素人なもんで。
一緒に来たイタリア人は音を上げて「It's vacation, not work!」ってガイドに言ってました。 仕事に来たんとちゃう、遊びにきたんやで!って感じでしょうか。

モンゴル=草原、っていうイメージはどこまでも青い草原が続いているイメージでしょうか? むろん、草原の面積は半端ないでしょうが、 でも実際は草原には石だらけの荒れ地もあるし、岩山や林もあるし、うんちもたくさん落ちてます。 TVで見るのとは大違いで、がっかりしたというより、日本にいた時は何もしらなんだな、って思いました。


2008年8月27日
モンゴル・中央高原
この日はテントを張ってキャンプファイヤーをしました。私は早めに切り上げて寝ましたが、 彼らはどうやら私の噂話をしてました。聞き耳を立てていると、"He is poison snake..." って聞こえました。スイス人女性、フェドリックさんの声。毒蛇ってなんだよ?

ちなみに、本気で何もないところだったので、トイレもなし。ゆえに全員野糞&野小便。 すごく解放感がありました(笑)。


2008年8月28日
モンゴル・中央高原
4日目。朝から雨が降っていて、風も冷たい、尻も足も痛い、でも帰らないと… 「♪帰りたくな〜い、かーえりたーくなーい、♪」 脳裏から歌が聞こえる…ってお母さんと一緒か!

乗馬のほうは二日目になったせいか、手慣れてきました。馬を疾走させることもできて、寒いけど楽しい。 どれくらい寒いかというと、12月の朝に雨と風に当りながら座っているのと同じくらい寒い。

半日かけてようやくホームステイ先のゲルに到着。 ちゃんとストーブ(というかドラム缶)に火が入っていて、なんか幸せな気分になりました。 火が焚いてあるだけでホッとしました。
これだけで幸せなら、贅沢なんて必要ないな、って思いました。
日本にいて;
幸福感を得る時っていつだろう? 幸福って何だろう? 幸福感を得るのにどれくらいのコストを必要としただろう? なんてことを考えたりもしました。

結局、日本にいるときは恵まれすぎていて、かつ刺激(ストレス)が多すぎて 幸福なことがあっても幸せだと感じなかったのだろうという結論に達しました。

次回に続く。


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2009/8/20更新



2008年8月29日
モンゴル・中央高原
5日目。カラコルム遺跡へ。デジカメの電池が無いのが悔やまれる。
カラコルムは、東西交易の拠点として栄えていた場所で、モンゴルで当時唯一の 定住型の都市だったところです。ここが廃墟になったのは、社会主義革命の時だそうです。
社会主義革命が引き起こした悲劇について書かれた資料によると、
モンゴルの資産家と知識人が大量に粛清され、家畜はすべてソビエトが奪っていった。 当時70万人いた人口のうち、3/4が粛清と飢餓で死んでいった・・・。 現在、ウランバートルの人口がようやく10万人を超えた。云々。

モンゴルの復興はこの先も困難を極めるでしょう。 南北を大国に挟まれ、国民は勤勉でないことを考えるとね・・・。 (日本の独立が、天機・地理・人に恵まれていたと思いませんか?)


2008年8月29日
モンゴル・中央高原
この日はゴビ砂漠の近くのゲルで一泊。夕飯は子羊の蒸し焼きでした。 民族料理=うまい、っていうのは幻想です。脂が多すぎて、まずい。 サイドメニューのジャガイモが一番おいしかったという罠。


2008年8月30日
モンゴル・中央高原
6日目。ようやく最終日。さすがに疲れました。 最終日は車で帰るだけという行程。

(当時は)都会の生活に嫌気がさしていたので、自然に囲まれて過ごすのも良いかも・・・ なんて思っていました。しかし、電気やガスの無い生活を続けるのは無理だとも感じました。 理由は簡単です。現代の文明生活に慣れてしまったこと。そして、寒すぎることの二点でしょう。 日本ではスイッチ一つで明かりもつけば火も点きます。灯油と火種さえあれば暖を取ることもできます。 それが一転して、蝋燭の火で明かりを灯し、薪と家畜の糞を燃やして暖を取る生活になったとしたら、 大変だろうというのは簡単に想像できます。一週間程度なら「貴重な体験」でしょうけど、 一生というのは無理、と思いました。(マッチやライターで火を起こすだけマシだったかも?)
ようするに、文明生活がすばらしく便利だということです。


2008年8月31日
モンゴル・ウランバートル
闇市
コップ ウランバートルの闇市の話です。非合法かどうかは知りませんが、 昨日まで一緒に旅をしていたイタリア人が"black market"と呼んでいたので闇市と訳しました。
針8本と糸束2本で50円。羊毛のセーターが一着1000円。アウトドア用のカップ(写真)が300円。 などを購入。電卓が役に立ちました。 買わなかったけど、本皮のブーツが5000〜10000円。デールが10000円以下。などいろんなものを 売っていました。これから暑いところ(中国・新疆地区)へ向かうのでなければ、買ったかも知れません。
日本から観光に来られる方は、お土産にいかがでしょうか?

闇市について。<名前>ナラントール・ザハ。 <場所>ウランバートル市内・南東部。中央駅から東へず〜っと歩く(4kmくらい)か、タクシー、バスなどでも行けます。 バス内ではスリ・暴行・痴漢などに注意しましょう。市場内でも同じく注意しましょう。


2008年9月1日
モンゴル・ウランバートル
その日は街を散策しました。メインストリートで売っているものを見ると、 服・靴・鞄がほとんどで、家電製品やipodもありました。食料品は市場で調達するらしく スーパーの類はほとんどありませんでした。
ネットカフェが意外と多くて、驚きました。 日本のネットカフェのように漫画もジュースも個人ブースも無くて、狭い部屋に所狭しとPCが並んでいました。 まさにネットのみをする所、って感じでした。レートは1時間50円ほどです。
一番驚いたのは、店員の9割は女性だったこと。 建設現場で働いているのが中国人の出稼ぎ労働者であることを思い出すと、 男は何をやってんねん!って思いました。ネットカフェで遊んでいるのは男だけでしたし、 公園でたむろしているのも、旧国営デパート前でかっぱらいをしているのも男でした(哀)。 (もちろん、働いている男性もいます。)
仕事が無いのか、働く気がないのか知りませんが、 ちょっと男が遊びすぎている気もします(という私も遊びに来ていたわけですが)。


2008年9月2-4日
モンゴル・ウランバートル
旅人たち
宿泊先のゲストハウスで会った人たちといろいろ話をすることができて面白かったので、その話をします。
1.日本人。夫婦で世界一周をしている人(一組)。
東回り(中米〜南米〜欧州〜中東・・・)と旅をしてきたらしい。夫婦で、というのがすごい。彼らのお勧めは、 (南米)エクアドル(ガラパゴス諸島は微妙)、コロンビア、ペルー、(中東)イエメン、イスラエル。 EU圏内は物価が高すぎるそうです(1ユーロ=170円の時)。

2.日本人。50歳になってバックパック旅行に目覚めたお爺さん。
中国ではパソコン、モンゴルではデジカメを強奪されるという見事な鴨っぷり(哀)。 私も気をつけようと、気を引き締めました。

3.ドイツ人、ポーランド人の若い女性。
アムステルダムがお勧めらしい。私の荷物が少ないのを見て、驚いていました。 (現地調達します)I buy what I need in my way.みたいに言うと、Oh, cool! って返されました。たぶん、かっこいいとか素敵という意味でしょう。ユーラシア横断の 話をしても、coolという反応でした。


2008年9月5日
モンゴル・ウランバートル
出発
さて、とうとうモンゴルを去る日が来ました。
モンゴルに対する素朴なイメージは見事に覆され、 改めて海外はどこも危険であることを再確認した記憶があります。 結局10日くらいしか滞在しなかったけど、もうお腹いっぱい& 予想以上に寒かったので、予定を切り上げてシルクロードへ進みます。 まずは、西安まで。

往路と同じコースを逆行して、ホフホト(中国)まで行きます。 中央駅に着くと、たくさんのモンゴル人が列車を待っていました。 いや、多かったのは見送りの人たち。 日本の映画で、戦争に出征する人を見送る人がでてきますが、ちょうどそんな感じです。 (万歳はしてませんでしたが。)古き良き時代を感じさせます。 学生さんが多かったように感じました。モンゴルの将来を牽引する人になって欲しいものです。

次はシルクロード・中国編です。

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