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2009/6/19
ユーラシア大陸を陸路と海路のみで横断しました!
(2008/8/5-2009/1/8)


かかった時間は5カ月、かかった費用は全てで54万円。

たくさんの新しい友人(国籍はいろいろ)とたくさんの思い出を作りました。

月並みな言い方ですが、人間やればなんとかなる!っていうことがよくわかりました。

                      (2009年6月19日、作者記す)


2009/6/27
中国人=反日、っていうイメージありますか?
歴史問題、領土問題などで政治的に対立があったとしても 市民レベルでは特に問題はないでしょう。というより、皆さんとても親切です。 少なくとも、上海の人たちは親切でした。

写真:人民公園で二胡を弾くおじさん。

(2009年6月27日 記す)


2009/7/7 機織り女性
(upが遅れてしまいました。)
写真:蘇洲にて、観音様の絵を糸で織りこんでいる女性です。
この地方は、古くから織物で有名なところなので、これも一つの観光産業です。
この街を知っている日本人は少ないでしょう、私もふらりと寄ってみた程度です。 お勧めは…う〜ん、郊外まで出て太湖を眺めるくらいでしょうか?
(2009年7月7日記す)


2009/7/13 蓮の花
拙政園(1500年代・明)ハスの花が咲いている。
歳月無情 人はうつろう
夢の思い出 嘆くも虚し
          (採蓮曲)

っていう歌を思い出します。哀しい恋心よろしく、人の世も無常です。 かつては栄華を誇った明も今は亡く、残ったのは改築された建造物と庭の草花のみ…

(2009年7月13日記す)


2009/7/20 モスク 連載して一週間が経ちました。が、まだ10日分しか進んでません。
それはさておき、新彊で暴動が起きましたよね。あの辺りにも行ったことがありますが、 ウイグル人にも乱暴な人もいますし、そうでない人もいます。 ちなみに、ウイグル人とは数回喧嘩になりましたが、 奴らなら・・・って、なんとなく納得しました(笑)。
こんな事件を起こすと、ウイグル人がますます街を追いやられて、漢人が街を占拠すると 思うのですけどね。ウイグルの若造にはわからんでしょうな。

(2009年7月20日記す)


2009/8/2 モンゴルの草原 モンゴルへやって来ました!見渡す限り草原、匂いもなんか違います。感動しました。
馬に乗ってモンゴルの草原を走ってみたい、という思いだけでここまでやってきたような ものです。下調べは敢えてせず、現地情報のみで生き抜く覚悟でした。 (今思えば、よくそんなことやったよね〜って思います。我ながら若い。)

結局、いろんな場面で「なせばなる」ということがわかり、自信がつきました。 それゆえに、大変な2週間でもありました・・・

(2009年8月2日記す)


2009/8/2 モンゴルの草原 人生に百歳なし
幼き時はものを知らず、年老いては力なく
残るのは青春の数年のみ
名誉と富貴に骨身を削っても、やがてはみな白髪の老人

射周鳥英雄伝/金庸 より抜粋

(2009年8月5日記す)


2009/8/10 モンゴルの草原 8/6は広島・8/9は長崎に原爆が投下された日でした。謹んで哀悼いたします。

2008年8月末、モンゴルの草原へと旅立ちました。いわゆる“エクスカーション”というやつです。
遊牧民のゲルに泊まり、馬に乗り、野営もして、民族料理(羊の蒸し焼き・チーズ・馬乳)を食べました。 そして、夜になると星がすごくきれいです。街灯一つない草原は素晴らしい・・・
今週は、半ば文明と切り離された数日をお話します。

(2009年8月10日記す)


2009/8/20 モンゴルの草原 衆議院議員総選挙・投票日が8/30ですね。 民主か?自民公明か?どっちが勝っても大差なし、の気がします。 とりあえず、今年は米が不作になるでしょうから(冷夏/日照不足) 政権担当者は、まず食料(価格)問題に直面するでしょう。 舵の取り方しだいで支持率が・・・いやその前に、低所得者の食い物が・・・
国富て  苦しむは貧民
国窮して 苦しむは貧民
っと。(今週もモンゴルです、来週はできれば西安まで・・・と思います)。

(2009年8月20日記す)


2009/8/27 兵馬俑 シルクロードの出発点・西安へやって来ました。かの玄奘三蔵はこの地から天竺へ行き、 唐の時代に日本人・安部仲麻呂はこの地に骨を埋めた歴史を思うと (これから西に向かう私にとっては)感慨深いものがあります。 ここまで到達するのに約一月もかかりました。とはいえ、旅はまだ序盤です。

(写真)郊外にある兵馬俑はあまりにも有名。


(2009年8月27日記す)


2009/9/3 自民党が選挙で敗れ、民主党が政権を握りました。
政権交代しただけで世の中が良くなるわけではなく、 日本人一人一人が良くしたいと願って行動するからこそ、 世の中は良くなるはずです。
政府がどうにかしてくれるというのは、 民主主義的発想ではなく、社会主義的発想です。

それを知っていて政府に頼るのか? 知らずに頼っているのか? 不況になったり国政が安定しない現在こそ、 日本国民の政治レベルが問われている気がいたします。

(2009年9月3日記す)


2009/9/9 鳥取は秋になりました。
朝夕の涼しい風を感じると、去年の10月にキルギスで過ごした日々を思い出します。 毎日つけるはずの日記も書かずに、トランプやチェスや将棋で遊んでばかりやっていました。 あの頃出会った日本人たちはどうしているだろう?



(2009年9月9日記す)


2009/9/25 中央アジアまで進出しました。○○スタンというのは、○○人の多く住む国という意味です。
今は昔ソビエトが決めた地方の名前がそのまま国の名前になっています。 つまり、ロシアの影響は多分にある地方なのです。現に、中央アジア諸国は北に行くほどロシア化しています。

さて、今週はキルギスタンという国のお話です・・・ と言いたいところですが、実際はビザを取っていたのか、日本人と遊んでいたのかよくわからない20日のお話です。

(2009年9月25日記す)


2009/10/5 中央アジア諸国に入国する場合、ビザが必要です(キルギスを除く)。 ゆえに、ビザを取るために領事館あるいは大使館へ行って、所定の手続きをする、 というのが我々バックパッカーに課された唯一の仕事・・・みたいなものです。

今週はビザを取得するまでの戦いをお話します。
→ビザ取得方法

(2009年10月5日記す)


2009/10/18 カザフスタンの国境での出来事は、私にとって未曾有の大惨事でした。
後にも先にも私の財布がここ以上に危なくなったことはありません。 カザフスタンの国境は最悪です。注意しましょう。 (でも不思議なことに、文章にしてみると大したことはない、という罠)

ちなみに、来週からウズベキスタン編です。私の一押しはこの国。 来週以降、写真をたくさんお見せできると思います。ご期待ください。

(2009年10月18日記す)


2009/11/2 私のお勧めウズベキスタンまでやってきました。
異国の景色・情緒に触れたいなら、ブハラやヒヴァに行きましょう。 日干しレンガの街並み・イスラム建築・結婚式へ乱入(?)・ 現地人とチェス対決・地元料理・日本人観光客との出会いなどなど、 一番楽しい20日でした。
この辺りからようやく写真が増えます。

(2009年11月2日記す)


2009/11/16 自己嫌悪だ〜なんて昔誰かが言ってましたっけ? 私も、「ああ、あの時のあの行動、なんてアホなんや〜」 って自己嫌悪することが多々あります。いや最近特に多いです。
そういうものの、自分を肯定しながら生きている時期も 無論あったわけです。
結局人は自惚れと自己嫌悪を繰り返しながら 生きてゆくのでしょう・・・

さて、今週はヒヴァ〜ブハラまでの旅です。 1〜2日分しか進んでません^^
そのかわり旅情報を追加。国境での話は面白いかもしれません。 これから中央アジア・中東・ヨーロッパのを越えたい、という方は必見です。

(2009年11月16日記す)


2009/11/30 技術立国日本-ってみんなそう言っているけど、本当だろうか? と私は疑問に思います。
事業仕分けの手が科学技術費に及んだ時、 ノーベル賞受賞者は、科学技術費予算の削減=日本の科学を遅らせる、 って言ってましたがこれでは、技術立国というより、国立技術です。
基本的に、日本の構造は、みんなが互いに依存しあう国(依存国家)と言えます。 右肩上がりの時代(近代:モダン)の時はそれがプラスに働きましたが、 ポストモダンのこの時代、それは互いに足を引っ張り合ってマイナスに働くような気がします。

さて、今週はブハラの話です。現地人とチェスをしたり、 またまた結婚式に乱入したり、ヒヴァで会った人たちと再会したり、 いろんなことがありました。

(2009年11月30日記す)


2009/12/14 とうとうサマルカンドまでやってきました!
中央アジアにどんな国があるか分からない人でも、 サマルカンドの名前ぐらいは聞いたことがあるのではないでしょうか?
工業都市化しているため、 観光地としての魅力はヒヴァやブハラには劣りますが、 これも時代の流れなのでしょう。
写真はサマルカンドのシンボル、レギスタン広場。

(2009年12月14日記す)


2009/12/28 アシガバード 今週は独裁国家トルクメニスタンを爆走する旅のお話です。
トルクメニスタン・・・中央アジアの北朝鮮です。独裁国家で永世中立国。 平和目的ではなく、「俺の天然ガスは俺のもの」的な発想で永世中立国になったそうです。 街のあちこちにバシャ(大統領の名前)の写真とスローガンがあって うっとうしい。字読めないけどね。

写真は、中立門。てっぺんには有名な大統領の像があります。金色なのが痛々しい・・・

(2009年12月28日記す)


2009/1/11 旧市街 明けましておめでとうございます。
今週はアゼルバイジャンのバクーでのお話です。 ( 地図 この街でビザをイランビザを取って、イランへ向かいます。 石油バブルと建設ラッシュのため、ホテル代は半端なく高いです。 物価も高いです。そして、うまいケーキがあります・・・(写真は無いのですが)
写真はバクー・旧市街の路地

(2010年1月11日記す)



2009/1/11 percepolice ペルセポリスは古代ペルシア帝国の建造物。ダレイオス一世が建設を始め,200年にわたって増改築が繰り返されましたが,結局アレクサンダー大王の率いるギリシア軍によって紀元前331 年に破壊されました。近代になって発掘されるまで手付かずのまま放置されていたので,保存状態がよいといわれています。
昔の栄華もペルシアの王の威信も既に無く,ただ半壊した建物が散在するのみ。これこそ無常。富貴の道も所詮は一睡の夢に過ぎないのか。



(2010年2月7日記す)



2009/1/11 percepolice ペルセポリスは、シーラーズという街の郊外にあります。一口にイランと言っても、北と南では気候がだいぶ違います。アゼルバイジャンとの国境(アースターラー)は寒かったけど、南(シーラーズ)は暖かい。既に11月下旬だというのに、日本の9月並みの陽気でした。ただし、砂漠の夜は寒いので、夜はものすごく冷えるので、暖房が必要です。

(2010年2月21日記す)



2009/1/11 percepolice 今でこそ欧米の文明を世界各国が真似ていますが、 かつて(300年ほど前まで)先進文明と言えばイスラム教圏でした。 医学、化学、天文学、はどれもアラブで栄えました。 強大なイスラム教国家が西アジアにあったからこそ、 大西洋を越えてインドに行こうと挑戦したのが「大航海時代」 だったりします。

16世紀、もっとも栄えたイスラム国家の都市のひとつがイスファハン。 今では排気ガスとぼったくり商人の跋扈する都市となっていますが、 建築物から当時の繁栄がうかがえました。

(2010年3月7日記す)



2009/1/11 percepolice 旅行中、よくお金が続くな〜って某先輩からメールをいただいたことがあります。 どう返信したかはさておき、旅で消費する3大要素は
金・時間・体力
といって間違いないでしょう。 この旅では、お金を浪費するのは絶対に避けるべきことでした。時間は浪費してもOK、体力は限界まで!って思っていたから特に考えてませんでした。
結果、安い宿(一泊1000円以下)、安い食べ物(現地人の食べるもの@市場)、バス・電車と、人の厚意で切り抜ける旅になりました。

さて、今週はイランを抜けてトルコへと進みます。中国人はビザが無いとどこへも行けないって、知ったのがイラン-トルコ国境です。

(2010年3月21日記す)



2009/1/11 percepolice 4月に更新すると言いつつも、とうとう5月末になってしまいました m(_ _)m。先月からすごく忙しくて時間がなかった・・・という言い訳です。
さて、エルトゥールル号って知ってますか?幕末に(今の)和歌山県串本町沖で沈没しトルコの船です。日本人がこの船の乗員を救助した、ということをトルコ人は知っていますが、日本人は知らないですよね。

今週は、イスタンブールの観光とか、ぐだぐだしたこととか、犠牲祭とかをお伝えします。



2009/1/11 percepolice 写真は、先週のバイラムに招待してくれた親父の店。ロカンタ、というらしい。親日的なおじさんで、娘が日本に嫁いでいるとかいないとか・・・。ここの料理はおいしいです。しかも安い。私は、玉子とトマトを炒めた料理と、鶏肉(足)の甘煮が好きです。場所は、イスタンブール旧市街地の中、詳しくは現地へ行って、安宿(Tree of life)に泊って、情報ノートを見てください(あれ、宣伝?)

(2010年6月2日記す)



2009/1/11 percepolice とうとう鳩山首相が辞任しました。管新総理になっても日本の苦しい経済や外交は変わらないとは思いますが、期待するのが人情というものでしょうか。唯一我々庶民ができるのは、投票所に行くこと。これが最高の意思表示になるほど、投票率が上がって欲しいですね。

話の舞台はヨーロッパへ。東欧は20数年前まで共産党の独裁体制下にありました。彼らが欲した民主主義と普通選挙権は切っても切り離せない。そう思うと選挙に行かないといけないよね、と思います。

(2010年6月10日記す)


2009/1/11 percepolice 前回のアップデートの時、容量オーバーで一部画像を表示できなかったようです。ご不便をおかけしました m(_ _)m。

ところで、「論理的に」正しいことが、「世の中として」正しいことと思われていない、と感じることがままあります。例えば絵文字(上の奴)。絵文字が厳密に私の感情を表現していなかったとしても、m(_ _)m とか (^_^) などと表現したほうが、受け手としては嬉しいようです。人間同士の関係ほど非論理なものは無い、と仰る偉い先生もいることですし、なかなか絵文字もばかにできない、と思う今日この頃・・・

さて、ようやく西ヨーロッパへ入ることができました。連載して約一年。あと少しで旅行記が完成します。最後まで読んでくださいね。

(2010年6月18日記す)


2009/6/25 percepolice 国民が望んでいることを実現したら、国民が望んでいる社会が実現するとは限らない…かつて、成果主義を導入した結果、格差が広がったことを忘れていませんか?今度は、子ども手当、社会保障、消費税、そろそろ痛みを知れ!とか言って○インが襲ってくるかも…いやないか。
某漫画の見すぎですね(^_^)

今週は、ザルツブルクのお話です。モーツァルトの故郷、その日は雪がしんしんと降る日でした。 (2010年6月25日記す)


2009/7/21 percepolice とうとうドイツまでやって来ました!飛行機なら20時間程度で到着しますが、諸国を廻って来たので、4カ月以上かかってます。この数カ月の「無駄」こそ最大の「目的」でもありますけどね。

さて、ユーロ圏の物価の高さは半端ではありません。おまけに、ドイツは寒い。そういえば、ウィーンに来てから太陽を見てない気がします。気が滅入る・・・

(2010年7月21日記す)




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